大判例

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名古屋高等裁判所 昭和30年(う)319号 判決

論旨は要するに本件犯罪即ち被害者和田典久に原判示の傷害を負わしめ同人を死に致した者は被告人でないから、被告人が本件犯罪を犯した旨の公訴事実を認定した原判決は事実を誤認したものであるというにある。

よつて案ずるに被告人は昭和二十九年一月三十日原判示阿田和町海岸において漁夫八、九十名集合して催された潮直の酒宴に出席し、酔余下川流造と共に判示国道上を新宮市方面から熊野市(当時木本町)方面即ち南方へ向け徘徊中、同日午後五時頃判示オリンピックパチンコ店こと石橋久成方前路上において折柄反対の方向から歩行して来た何れも潮直の酒宴に出席した和田典久、和田奈良次及び筒井広司の三名に遭つたが、泥酔して奈良次に抱きかかえられていた典久に対し「典あまりごう(世話)やかすな」と申向けたので、同人は「何も世話やかさんやないか」と応酬する等口論があつたが、そこえトラックが来たのでその侭別れたこと、その後暫くして突如典久が「はがいいわよ」とか、「出刃じや出刃じや」等大声で呼びながら判示海岸に通ずる小路を走つて来たこと、被告人が同人を追跡して約七十米離れた海岸の芝野二一方に相前後して立越したこと、同家土間において被告人は典久が勝手場の庖丁置場から持つて来た出刃庖丁(証第一号)を奪取しようとして抗争し、遂に右庖丁を取上げ二一の妻安子に交付したが、被告人が右取上の直前被告人と典久との間に「出刄を持つのは卑怯やないか」とか「出刄なんか持ちわせんやないか」等の押問答があつたこと、その頃その場に来た筒井広司と典久及び被告人の三名が揉み合いを初めたが、その内典久の腸が体外に露出しているのを発見したので、直ちに同人をリヤカーに乗せ原判示民生病院に運び込み治療したこと、その翌三十一日午前八時三十分頃典久は判示傷害による腹腔内大量出血の為死亡するに至つたことは原判決挙示の証拠により認めることができるから、被告人が芝野二一方において典久と抗争中右出刄庖丁を以て同人に傷害を与え死に致した嫌疑は甚だ濃厚である。

然しながら被告人が右出刄庖丁を以て典久の腹部を二回突き刺したことは被告人の検挙以来否認するところであり、原判決挙示の証拠によつては右事実を認め得ないのみでなく、記録を精査しかつ当審の取調の結果を綜合しても之を確認するに足る証拠はない。即ち原審並びに当審証人和田奈良次同後呂孝育同筒井広司の各供述によればオリンピックパチンコ店前路上において被告人と典久とが口論をして別れた後も奈良次は典久を抱えた侭同町スイセイパチンコ店こと福田徳三方横空地辺迄行つたが、その間広司と別れかつ同所において後呂孝育と遭うや同人が奈良次に対し「余り小さい者をいぢめるな」「お前典久の首を締めているではないか」等申向けた為奈良次は憤慨して同人を殴打したが、その際抱えていた典久を手離したこと並びに奈良次が典久を抱えている際同人が「殺すなら殺せ」と呼んでいたことを認めることができ、更に原審並びに当審証人芝田二一同芝田安子同芝田なみゑ同筒井広司の各供述によれば被告人が典久と相前後して右二一方に立越してから典久の腸が露出しているのを発見する迄の間被告人等に続いて同家土間に入つた芝野安子芝野なみゑ筒井広司及び同家隣六畳の間にいた芝野二一等の内被告人が典久に出刄庖丁を突き刺すのを目撃した者がないことを認めることができ、又同日潮直の酒宴後阿田和町内各所に喧嘩斗争のあつたことは記録上明らかであるから、之等の事実を綜合すれば典久が原判示国道上において判示負傷をしたことを確認することはできないが、さればといつて二一方において受傷したものと断定することもできない。

尤も万献沂作成の死亡診断書玉置弘作成の鑑定書中田杉太作成の鑑別書上野正吉作成の鑑定書、原審証人中田杉太同上野正吉同万献沂原審並びに当審証人玉置弘の各供述によれば和田典久の受傷は二回の刺傷で右出刃庖丁により生ぜしめることは可能であるが、右庖丁に附着している血痕は人血であるが、極く少量の為血液型を判定することができず、而し右庖丁は二一方において常に使用し同人等において受傷したこともあるので、右血痕が果して典久のものであるか否か不明である。捜査当局が本件犯行の犯人を確認する鍵である右出刃庖丁を本件犯行当日発見しながら如何なる理由でか之を右二一方にそのまゝ保管せしめ翌一月三十一日漸く領置しており、原審公判において関係人の証人調で右庖丁の刃の部分の様子が従前と多少変つている旨二、三の証言が出で右庖丁は一月三十日及その以後何かの機会に何人かによつて水洗したり砥いだりした疑がないでもないが具体的に之を確認する資料はないから、典久の受傷が右出刃庖丁によるものであることを確認することはできないし、又右証拠によれば判示の如き傷害を受けてから約七十米走り前示出刃の取合の如き行動をすることは絶無でなく、而も前示の如き腸の露出は必ずしも受傷と同時に生ずるものと限らないから、右二一方において腸が露出していたからといつて、同所において兇行が行われたものと結論づけることはできない。

之を要するに和田典久を傷害して死に致した犯人が被告人であることの疑は甚だ多いが之を最後的に裏書し確認すべき極め手ともいふべき資料に乏しいこと、本件のあつた当日は「潮直」の酒宴の関係もあつて阿田和町内各所に漁夫の間で喧嘩があり、本件被害者がその被害現場とせられる場所以外において最後に二一方へ来る前にも被告人以外の者との喧嘩斗争に加わつた形跡があり、而も被告人が最後に二一方へ来るとき同人方手前路上を歩くのに腹部又はその附近を押え不思議な叫声をあげ、上体を曲げて歩いていて、既にそのとき腹部等に重大な傷を受けていたと考えれば考え得る如き状況であつて、被害者が二一方へ到着の前に被告人以外の者から本件死因の創傷を加えられたと考えることは必ずしも不可能とはいえない事情があることを綜合してみると原判決が被告人を犯人なりと認定したことは事実誤認であり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第一項第三百八十二条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り更に当裁判所において次の通り自判する。

本件公訴事実は被告人は昭和二十九年一月三十日午後四時頃南牟婁郡阿田和町大字阿田和地内路上において酔余和田典久(当時満二十一年)と些細のことから口論の末同人を追つて同町大字阿田和字中の町芝野二一方に到り、右典久が芝野方勝手場より出刃庖丁を取り出すや、之を奪い取り矢庭に右庖丁を同人の下腹部に二回突き刺し同人に下腹間膜動脈切断の傷害を与え、因つて同月三十一日午前四時三十分同町南牟婁民生病院において死に至らしめたものであるというのであるが、前段説明の如くその証明は十分でないから刑事訴訟法第四百四条第三百三十六条に則り無罪の言渡をすることとし、主文の通り判決する。

(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 赤間鎮雄)

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